昔の純愛モノエロゲは相対的に正しかった【エロゲブームの本質と90年代以前の恋愛観】

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「エロゲ衰退論」といったものが定期的に盛り上がるんですが、そういった文脈や昔のエロゲブームを懐かしむ論調の中で全く語られているのを見た事がない、けれども個人的には極めて重要だと思う問題について今回は語って行きたいと思います。

それは、昔の「純愛モノ」と呼ばれたようなエロゲは「相対的に正しかった」という話です。

「純愛モノ」とは

エロゲにおける純愛モノとは、要するに「凌辱モノではなく、ナンパなものでもない」といったニュアンスを表現するための言葉であると理解すれば良いです。

90年代以前のエロゲには凌辱的な描写のものはもちろん、街で声を掛けた女性とホテルへしけ込むような「ナンパゲーム」といったスタイルを取る作品も少なくない状況だったようです。

そういったものに対して、平たく言えば「恋愛関係の末に性行為を行う」という特徴を持った作品、その中でも特に「荒れた性風俗」といったようなニュアンスを排したような作風の事を「純愛モノ」と呼んでいたと解釈して差し支えないでしょう。

純愛モノが生まれる時代背景

若い人にはピンと来ない部分もひょっとしたらあるのかも知れませんが、90年代や80年代の物語、特にテレビドラマなんかで描かれるような恋愛像って非常に「軽薄な性関係」が多かったんです。

つまり、「若い男女が一夜限りの関係を結ぶのなんて普通でしょ?」とでも言わんばかりの、そういった不貞な男女関係を描いた作品が世の中にあふれていました。

ヒロインがビルの屋上で「セッ〇スしよ?」と言ってみたり、不倫カップルが全裸で野原を散歩してみたり、そんなものがいわゆるゴールデンタイムに垂れ流されていた時代でしたね。

二次元界隈でも、少女漫画やそれを原作とするアニメなんかでは本質的には不貞な男女観を語るような作風が(それなりの偽装をしつつも)少なくなかった時代だったような印象があります。

そういった90年代までの物語における恋愛観のようなものが、エロゲにおける「純愛モノ」の成立に大きく関わっているのです。

エロゲの純愛モノ=不貞な男女関係へのアンチテーゼ

エロゲの純愛モノとは、そういった軽薄な男女関係が前提のように語られた時代の中で生まれた反作用だったと言えます。

と言うと、「いやいやエロゲの主人公は複数の女性と関係を持ってるじゃないか」といった反論のある人もいるかも知れませんが、まずマルチシナリオとは一つの世界を選択した時点で他の世界は存在しないという仕組みである点はご理解願いたいと思います。

もちろん必ずしも不貞な関係が描かれなかったわけではありませんが、先ほどあげたようなテレビドラマ的な、あるいは一部の少女漫画的な不貞さとは一線を画す、ある種の潔癖さを持った作品が多く発表されたのは確かな事です。

言い換えれば純愛モノのエロゲとは、90年代や80年代的な(あるいはそれ以前も?)不貞な男女の描き方に比べると相対的に正しかったと言えると思うわけです。

そういった相対的な正しさに引き付けられてエロゲの純愛モノを愛好した人も多かったのだろうと思いますし、事実自分自身がまさにその口でした。

チャラチャラした男女関係に嫌悪感を抱く事の多かった自分のような若者にとっては、エロゲで描かれる純愛というものは安心感を覚えるものがありましたし、そこにいわゆる泣きゲー的な要素も加わったとしたら、それはやはり愛好の対象となるものでした。

2000年代の流れに先駆けた純愛エロゲ

2000年代には実写の世界でも純愛的なものを描く作品が増えたようですね(詳しくは知りませんが)。

言うなればエロゲはそういった流れに先駆けた存在だったわけですが、純愛エロゲは2000年代が進むにつれて優位さを失っていったように思います。

90年代末から2000年代初頭にかけて登場した純愛エロゲというのは先ほども触れたように「相対的に正しかった」と思います。

しかし世の中が昔に比べるといくらかマトモになった事で、純愛エロゲは必ずしも相対的な正しさを担保できなくなっていったのではないでしょうか?

それこそ特に非エロゲユーザーからツッコミが入りやすい「マルチヒロイン型」の体制に延々と縛られ続ける結果となるわけですし。

しかしこういった点が、ある意味では意図しない形で変化しつつあるのが昨今の状況(2010年代半ば以降)なのかな?とも思っています。

それはロープライス作品が増えた事による単一ヒロインスタイルの確立ですね。

これは意図して出来上がった流れではないのでしょうが、結果的には純愛エロゲの歩みを進める意味で効果的なスタイルが一般的となったように感じています。

さらに言えば、エロゲはすでに純愛エロゲのその先の片鱗までは辿り着いているんですよね。

それは「イチャラブ」です。

「イチャラブは恋愛ではない」というのが自分の主張なんですが、そういった点をしっかりと昇華した作品がエロゲの未来を切り開けるものだと自分は確信しています。

というより、イチャラブが未来を切り開けなかったとしたら、エロゲは本当に「エロいゲーム」としてのアイデンティティーが確定してしまうのでは?という危惧も多少持っているのが最近のエロゲ界隈に対する危惧なんですよね。

作風を問わずエロゲ業界における共通認識として「エロゲはエロくあるべき」というのが大正義として扱われている昨今、「エロくないエロゲ」というものが許容されなくなっている事を痛感します。

自分は「エロくないエロゲ」という概念こそ、「エロゲのエロゲたる所以」だと思っている人間なので、こういった現状には少なからぬ落胆を覚えています。

エロゲの未来に必要な事、それは「相対的な正しさ」を取り戻す事、あるいは「圧倒的な正しさ」を提起する事ではないでしょうか。

いい加減、「恋愛」を捨てましょ?

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