アニメの作品批判は必要悪?【アニメの理想郷へ至る道】

今回はアニメに対する視聴者側のスタンスについてのお話。

ただただ作品を愛でていたいんですけど、そうも行かないのかなと。

アニメにおいて作品批判は必要悪?

自分は基本的にアニメは色々な作品があってほしいと思ってます。

その色々全てを自分が見る気はありませんが、そんな中から自分が気になった、気に入った作品を愛でて行きたい…それが理想です。

しかし、そんな理想の前提としては、作り手側がプライドと愛と責任(面白さに対する責任)をもって作ってくれている事が前提です。あるいは寧ろ、作り手側の思惑を完全に無視して、あくまでも作品自体を愛していく、という視点でいることが前提です。

かつての自分は作り手側の思惑を無視して作品自体を自分なりに愛していく、という考え方でアニメと接していました。それ自体はあの状態ならソレしかなかったと思えますし、だからこそアニメを愛し続けてこれたとも思うので後悔はありません。

しかし、アニメは無限に製造されるものではなく、作るためにはそれ相応の資金が必要なもの。ゆえに、仲間が必要である。という視点をここ何年かで否応なく感じさせられています。

物語なんてものは楽しむ意思をもって見れば、およそ楽しめるものです。しかし、それだけの愛情をもって作品を見る人が多数派であるわけではなく、多くの場合はそれなりに”余計な思考”を交えながら作品を享受する。であるから、余計な思考を含んでも面白いと思える人の多い、あるいはその面白さを製作者側が説明・説得できる作品というものを望んでいかなければ、商業的に枯渇してしまうと思うのです。

作り手を信頼するのも、作り手を無視するのも、結局自分が望むスタイルとしては、自分のアクションは変わりません。しかし、作り手を信頼した上で自分が思うままに気に入った作品を愛していく…その道を目指した方が、より長く太くアニメを楽しんで行けるでしょう。さらに言えば、作り手と視聴者がみんなで楽しめる作品に(視聴者として)参加するのは、殊の外幸せな事だな…という事を、とある作品で感じさせてもらえましたし。

最近はチラホラと、そういった事が出来ていると実感できる作品を見かけるようになりましたが、残念ながらまだまだブレーキが利かない、自浄作用に期待しにくい業界であるのは間違いない部分だと感じます。

そんな業界であるのだから、もっと視聴者が先の事も考えつつ、批判的に作品を評する必要があるのかもしれない…と、そんな事を最近は思ったりもします。

個人的に本当はそんな事したくもないし見たくもありません。自分が楽しいと思った作品の楽しかった所、ここがあーだったらもっと楽しめたのに…という所についてばっかり語りたいし愛でたい。だって自分が楽しめなかった作品が大好きな人だって、中にはいるでしょうから。

必要悪としての批判…やはりお金が絡んでくると、好きなものを好きだと言ってるだけでは済まなくなってしまうんですかね。

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